3人の母であり、助産師Aさんの出産体験

『出産体験おしえてください~女神たちのタペストリー~』

 

このインタビュー企画に登場する、最初の女神は、Aさんです。

個性の違う三人の子どもとの出会いで、気づいたこと。

それは、「私は私にしかなれない。この子はこの子にしかなれない。」

今回は、周りの目を気にして、自分を責めてばかりいたAさんが、“人生の底”を通り、「自分を大切にする」ことがわかるようになった、Aさんとご家族の物語です。

 

【ケース1 Aさん 30代】

 

にこやかな表情が印象的な、Aさん。ご自宅で、お話をしてくれた。

Aさんは、夫と、三人の子ども(二人の小学生と、1歳)で暮らしている。助産師として働きながら、「発達に凸凹」がある子どもを持つママのための、お話会をする活動もしている。

Aさんの第二子は、学習障害と言われる特性がある。子育てを通じて「周囲が子どもを理解することで、子どもの特性が障害ではなくなる」と気づき、子どもが輝き、一人ひとりの子どもを理解してくれる世界になってほしい、という思いで活動されている。

しかし、そこにたどり着くまでの道は、平坦ではなかった。

 

第一子の出産で、“どん底”を経験

Aさんは、看護師として働き始めて3年目、20代前半に第一子を妊娠した。

働いていた病院では、妊娠していても、夜勤をこなすのが当たり前だった。職場の先輩からは、「妊婦と一緒に夜勤するのが、どれだけストレスかわかる?」などと、心無い言葉をかけられたが、当時はそれを、そのまま受け取り、「そっか、妊婦と働くのは嫌なんだ。そんなものなのか。」と思っていた。体位交換、オムツ替え、などの肉体的にハードな看護の業務をこなしていたところ、妊娠5~6か月ごろに、切迫早産で入院することになった。それでも、職場からは、「本当に切迫なの?」と疑う声が出てくるような環境だった。今から思えば、「大切にされていなかったし、自分を大切にしていなかった」。そんな環境で、よく毎日通っていたなぁと思う。

職場の先輩から、「待ち時間が少ないから」とすすめられた産婦人科を、出産する場所として選んだ。昔ながらの病院で、助産師がいなかったが、あまり考えることもなく、その病院にした。「その時は、お産って、適当に思っていたんだと思うんですよ。自然に生まれてくるだろう、って」。

Aさんが入院したのと同じころ、夫が、発熱を繰り返す、原因不明の病気にかかる。臨月には、夫が入院していたので、Aさんは大きいお腹を抱えて、夫の病院へ通っていた。

夫の病気が治るのか、いつ治るのか、見通しがない中、Aさんは精神的に不安定になり、「おいおい泣いていました。」

その時には、すでに家を買っていた。

子どもも生まれる。

夫が、病気で、働けるかわからない。もしかしたら、命に関わる病気かもしれない。

そんな状況で、子どもを育てていく自信がなく、Aさんの心は、不安で押しつぶされていった。

また、夫が病気になったのは、自分が原因ではないか、とも感じていた。家を購入したことや、子どもができたことが、夫にプレッシャーになったのではないか。そして、Aさんは、仕事や生活のストレスを、夫にぶつけていたようにも、思う。「妊婦で、働いて、家のこともしてるんだから!」と、日々のストレスを、夫にぶつけて、責め立てていた。優しい夫は、それを「ん~、ごめんな~」と小声で受け止めていた。それまでは、夫に向いていたAさんの怒りが、夫が病気になったことで、怒りの矛先が自分に向くようになった。自分を責め、胸の中は罪悪感でいっぱいだった。

出産までこぎつけた時には、「精神的にどん底」だった。夫は、体調が悪い中、出産に立ち会ってくれたが、生まれたらまたすぐに入院した。陣痛微弱で、時間のかかるお産だった。「本当に、いわゆる、まったくダメ妊婦です」。動けと言われても動けない、痛がるけど陣痛は弱い、すぐに弱音を吐く。ながびく陣痛に、頭は混乱状態になっていた。「だから、もうボロボロって感じで。」

赤ちゃんは、大きな産声をあげて、無事に元気で生まれてきた。

生まれたことを喜んだのもつかの間、「夫がまた入院した」とか、「赤ちゃんを見に来てくれない」とか、そんなことばかりを考えて、また「どん底」に落ちる。ストレスで、ご飯が食べられなくなり、さらに赤ちゃんとの生活による睡眠不足も加わり、産後1か月で母乳が出なくなってしまった。「パンっと張ったおっぱいが、シュ~って」しぼんでしまった。

 

赤ちゃんはかわいかったけど、この時期は「人生の底」だった、と感じている。

Aさんが後悔していることの一つに、妊娠中のストレスが、子どもに影響を与えたのではないか、ということ。

「胎教としては、よくなかったと思います」。第一子は、優しい性格である反面、繊細で、打たれ弱いところがあり、その特徴が、妊娠中のストレスと関係があるのではないかと思う。

(「胎教」についての、Aさんの思いは、のちほど紹介する。)

 

あきらめそうになった、第二子の出産

第二子は、すぐに授かった。

第一子の産後2か月で、仕事に復帰した。復帰から、間もなく第二子を妊娠した。

「二人目は、正直、堕ろそうと思ったんです。」

夫がまだ働いていない中、周囲から無責任とか、どうやっていくつもりかとか、言われることが怖かった。一人目も、まだ赤ちゃんで手がかかる。自分が産みたいかどうか、よりも、産めるのかどうか、というレベルだった。

この時は、本当に“周りの目”しか考えていなかった。夫や、両親にはどう思われるか。職場が、先輩が怖かった。特に、師長さんに、怒られるのではないか、が一番気がかりだった。看護師のキャリアとしては、まだまだこれから。周囲と差をつけられる焦りもあった。

そこで、師長に「堕ろそうと思うんです」と相談したところ、師長から「堕ろすほどではないやろう」と言われた。結局、その一言が決め手となり、産むことを決意する。「私、産んでもいいんだ!」と。

第二子の妊娠初期は、子どもの命を、自分で決められないくらい、「グラグラな最初」だった。職場に、自分のすべてを委ねていた。Aさんは、この頃を「周りのことばっかり気にしていた時代」と言い、この時を思い出すと、今でも胸が痛む。

「一番大切な命を、雑に扱っていたんだなっていう後悔がすごくあって」。

実際に、中絶できる病院を探していた。幸い、すぐに中絶できる病院はみつからなかった。自分の中では、本当は産みたいという気持ちがあり、迷っていた。中絶を選びきれない自分がいた。そして師長の「堕ろすほどではないやろう」の言葉。これらが重なり、妊娠を継続することにした。

もし、堕ろしていたら、師長のせいにしていたと思う。自分の意志でそうしたとは、思えなかっただろう。他の人には、頭を下げてでも、産みたいと言えただろうが、職場、師長には言えなかった。「それくらい、職場がすべてだった」。

出産することを決意してからの、妊娠中の経過は順調だった。また、妊娠の後半から、夫が働けるようになり、家族の状況としても落ち着いてきた。

二人目の出産は、一人目とは違う病院を選んだ。助産師がいて、医師もサポーティブな対応をしてくれる病院。「一人目に比べたら、落ち着いて出産できました」。陣痛の途中で、助産師に腰をさすってもらったり、尾骨のあたりを押さえてもらうことで、「こんなに楽になるんだー!」とびっくりした。今まで、痛みに弱い自分がダメだ、と考えていたが、一人目の出産の時には、適切にサポートしてもらえていなかったのだと、知った。一人目と二人目の出産は、全然違うものだったけど、「受け身の出産」であるという点では同じだった。

 

助産師になる!

子どもが、2歳と3歳になったあたりから、助産師を目指し始めた。きっかけは、産科で働いたこと。今まで、小児科などの一般病棟で働いていたが、産科で働いてみたくなり、別の病院へ移った。今まで、患者さんを見送ることばかりだったが、産科では迎えることができる。そこが「かっこいい」と思った。ベビーちゃんたちがかわいく、「いいなーって」、助産師のいる場所が、癒しの世界に見えた。

また、もともと向上心、向学心が強いAさんは、看護師以上の、専門性を身につけたいとも思っていた。「私はこれが得意ですっみたいなのがほしくて」。それで、助産師というのものに、ピピっときた。約2年かけて助産師学校を受験した。

助産師を目指す途中で、「もう無理―」とめげそうになったこともある。その時、3歳になった、第二子に、「ママ、しっかりして!」と言われる。二人目は、普段はマイペースでのんびりしている子であるが、時々、核心をついたことを言う。この時も、厳しく、くぎをさされて、「ハっ、そうだ、私は助産師になりたいんだった」と、我に返らせてくれた。

第一子は、「ママー、大丈夫?」と心配してなぐさめてくれるタイプなので、二人の組み合わせが「絶妙ですよね」。助産師になれたのは、この二人の子どものおかげである。

 

傷と向き合い、自分を大切にしはじめた時期

助産師として働きはじめて2年、新しい職場に転職した。その職場で、「エンバーミング(死体保存、死体修復)」についての研修があった。「エンバーミング」の一つに、いわゆる“死に化粧”を施すことある。しかし、それだけでなく、口が開いたままや、不自然な姿勢で硬直しているカラダを戻すことや、交通事故などで、顔や体に損傷のあるご遺体の修復をすることも含まれる。

その研修で、大きな傷のあるご遺体の写真を見て、Aさんは、過去に親戚が亡くなったことを思い出し、PTSD(心的外傷後ストレス障害)となる。

Aさんには、大好きで憧れていた、5歳年上のいとこのお姉さんがいた。Aさんが10代後半に、そのお姉さんが、無残な亡くなり方をした。Aさんは、そのお姉さんが亡くなる日に、電話をかけようか迷い、結局電話をしなかった。そのことで、Aさんは、お姉さんの死に、責任を感じており、「お姉さんではなく、私が死んだらよかった」と思っていた時期もあった。

その心の傷に、蓋をしたまま過ごしてきた。しかし、エンバーミングの研修を受けたことで、当時のことを思い出し、蓋が開いてしまった。当時のことを思い出す状況があると、呼吸困難、心悸亢進、などの症状が出てきた。これにより、Aさんは心理セラピーを受け始めた。

また、この時、子どもに対して、すごくきつく当たる時期でもあった。ひどい時には、「この子を殺して、自分も死のうか」と思うほど、子どもへの憎しみの感情が抑えられなかった。しかし、それを返してみれば、自分が憎らしかったのだ。自分が、許せない。私は、何かがおかしいけど、何がおかしいのか、わからない。

その自分を否定する気持ちは、いとこのお姉さんを、助けられなかった自分への怒りと、

つながっているように思えた。

「自分自身を許せないから、わが子を許せないのかなぁと」。

 

“私のちょうどいい”を見つけた、第三子の出産と育児

Aさんは、心の傷と向き合い、精神的なことがらについて、学びだした。ちょうど、第三子の妊娠がわかったころ、「自分の人生軸をたてる」ための、グループコンサルティングを受けることになった。そこから、本当に自分を大切にする、ということが、少しずつわかるようになってきた。

「自分を律するっていうのは、ただ自分に厳しくすることじゃないんだなって。自分を大切にしていると、自然と律してくるんだな」ということに、気づきだした。

Aさん自身に、このような変化が起きると、周囲も変わってきた。特に、夫が大きく変化した。

それまで、Aさんは、夫に弱々しい、責任感にかける子どもっぽい人、というイメージを持っていた。以前は、夫から「働かないの?」と質問されると、それは夫が楽をしたいから、Aさんが働くように、せっつかれているような気持ちになっていた。

それが、今ではAさんに「究極、そばにいてくれるだけでいい」と、言ってくれる、包容力のある夫と映っている。

以前なら、夫の言葉に対し、Aさんが「ねじくれた」返答をしたので、夫も「ねじくれた」エネルギーで返してくる。ねじれすぎて、離婚の話が出たこともある。

この妊娠期間にグループコンサルティングを受けたことで、Aさんのねじくれていた何かが、だんだんまっすぐになってきた。

夫について、Aさんは「私の鏡だと思う」。今の夫は、包容力があり、Aさんが何をするにも応援してくれる存在であると、感じている。

Aさんの家のリビングの絵

Aさんのリビングに飾られていた絵。男性が、後ろから女性を優しく抱擁している様子が、Aさんの夫婦関係の象徴のように、感じられました。

3人目は、助産院で産むことにした。友人の紹介で、開業している助産師さんと知り合った。その助産師さんが、とても「感じがよく」、検診のたびに、その人に会えることが、喜びだった。また、第三子の出産は、「受け身」ではなく、「私が産むんだ」という決意で臨んだ。これも、1回目、2回目の出産とは違う点である。

その助産院での出産は、身体はきつかったが、達成感のあるお産ができた。

第三子の出産をきかっけに、正職員ではない働き方に、シフトチェンジした。10年近く、正職員として働き、産後は早々に職場復帰してきたAさんにとって、仕事をしないこと、仕事を辞めることに怖さがあった。

しかし、第三子は、ゆっくり向き合って子育てをしたかった。

育休をとり、自分の手で育てている中で、「あ~、私こうやって子育てしたかったんだ~」と気づいた。二人の上の子の時は、Aさん自身が若く、キャリア志向だったこと、夫が病気だったことで、わが子の成長を見る余裕がなかった。本来は、自分の手で、たくさん抱きしめ、一緒に過ごすことが、したかったのだ。

 

子どもと向き合ったからこその、産後うつ

「今度は、ちゃんと育てたい」と、望んだ3人目の育児。

「だからこそ、産後うつになりました」。5か月ごろから、死にたい気持ちと、お金への強い不安が出てきた。第3子の成長を丁寧に見届けていると、「こんな時期が、上の子たちにもあったのだろうか」、「上の子にしてあげられなかった」という思いにかられ、つらくなってしまった。罪悪感に、向き合うことができなくなってきた。「死にたい」という気持ちには、死にたいのではなく「やり直したい」なのだ。

罪悪感に耐えきれず、その気持ちを、お金の不安へと変え、職場復帰をしようとした。しかし、復帰しようとすると、めまいを起こすなど、身体がついてこなかった。そこで、グループコンサルティングで知り合った仲間に相談し、「Aさんは、あんなに今度はちゃんと育てたいって言っていたじゃない」、と言われる。「あ~そうだったな」と思い、もう一度、自分の気持ちに立ち戻って考えた。そして、やはり子どもとずっと一緒にいることも、耐えがたかったので、仕事をパート勤務のゆるいものに変えて、第三子が9か月のころに、復帰した。

それにより、自分を保つことができた。「私は、こういう感じがよかったんだ」と思った。

最初は、「がっつり自分の手で見るんだ」と気負っていたが、それはそれで「しんどいのだ」ということに気が付き、Aさんにとって母親業と仕事の「ちょうどいい」ところを、見つけることができた。

 

<この子は、この子にしかない幸せがある>

今も、三人の個性の違う子どもを育て中のAさん。

子どもを自分の分身のように感じ、否定していた時代があった。子どもとの関係について悩み、葛藤する中で、「あれ?私とは違う人間なん?」と感じ始めた。「わかっているようで、わかっていなかったんですね」。

それぞれの子どもの特徴と、育児について思うことを、最後にお話してもらった。

 

  •  感覚過敏のある第一子

第一子は、聴覚や視覚に、感覚過敏がある。聴覚過敏とは、たいていの人が、なんとも思わないような音に苦痛を感じること。また、人込みにはいると、目がチカチカする。そんな第一子の特徴は、Aさんは妊娠中の精神的なストレスが関係あるのではないか、と考えている。第一子の妊娠中は、Aさんの気持ちが、マイナスにたかぶっていた。Aさんのジェットコースターのような気分の波と、第一子が経験している感覚過敏が、「種類は違うけど、似ているような気がする」。

Aさんは今、胎教と、発達障害の関連について、関心を持っている。Aさんが勉強しているという本によると、妊娠中のママのストレスが胎児に影響し、胎児がそれを回避するための原始反射を形成する。お腹にいる赤ちゃんの原始反射の中に、「恐怖麻痺反射」というものがある。これは、外からのストレスに対して自分を守るために、身を固くする、という反射のこと。Aさんは、この説を知ってから、第一子がお腹にいる時に、ストレスが強かったんだろうと思い、胎教の科学的な根拠を勉強しているところである。

 

  •  “お地蔵さん”のようだった第二子

第二子は、学習障害という診断がついている。「この子は、胎教の影響というより、もともと発達的な課題をもって生まれてきたんだと思う。」

赤ちゃんの時は、身体の動きがとても少なく、発達がゆっくりで、「お地蔵さん」のような赤ちゃんだった。笑うことも少ない。しかし、コミュニケーションがとれないわけでもないので、異常とは感じず、「大人しい子なんだろう」と特に何もせずに、様子をみていた。

成長に伴い、発達の遅れや偏りに気づきはじめた。今になれば、赤ちゃんの時に、もっと刺激を与えてあげたら、違ったかもしれない、と思う。発達の偏りに気づいてから、自閉症や発達障害児の療育の一つである『感覚統合』のレッスンを受けたいと思っても、「今からだと遅い、もっと低年齢から受けないと」と言われた。

「あの時、気づいてやっておけばよかった」という後悔がある。そうすれば、第二子の生きづらさを減らすことが、できたかもしれない。

そんな後悔から、Aさんは、発達に偏りのある子を持つママのための講座をしようと考えている。療育を受けることで、効果があるかどうかは、子ども次第ではあるが、やっておけばよかった、という後悔はしなくてすむ。そして、早期に気づくことで、子ども自身の自尊心が傷つくことを避けられるのではないか。

「周りの理解さえあれば、子どもは輝くことができるんです」。

 

  • たくさんの経験をくれた第三子

第三子は、手先が器用で、スプーンの使い方もうまい。最初から、指先を使って、持つことができている。第三子を見ていて、「親の教え方が上手とか下手とかじゃなくて、本当にその子によって、持っているものが、違うんだ」と思う。

 

三人三様の子育て。幼児教育やベビーサインは、大人から子どもに教えるものであるが、Aさんは、逆に一人ひとりの子どものサインを、大人が学ぶことが大事だと考えている。

「この子を教育するんじゃなくて、この子から教わった方が、早いんじゃないかって。そういう親教育みたいなのを、子どもから学ぶこと、したらいいんじゃないのって、思っているんです」。

 

私は、私にしかなれない。この子は、この子でしかない。

Aさん自身は、ずっと「私は看護師になる」「助産師になる」「奥さんになる」と、何かになろうとしてきた。「私は、私にしかなれない」ということが、ずっとわからずにいた。それが、最近やっと、「私は私でしかないんだ」と気づき、同時に「この子はこの子でしかない」と思うことができ、すごく楽になった。

子どもは、勉強ができない、刺激の感じ方が他の人と違う、など、生きにくそうなものを持っている。しかし、AさんにはAさんにしかない幸せがあり、それは子どもの幸せとは違う。その子には、その子にしかない幸せがあるんだから、それをすべて拾ってあげたらいいなじゃいか。

Aさん自身も、夫も、凸凹はある。凸凹は、みんなある。だから、その一人ひとりを見て、育てたらいいな、とAさんは思っている。

 

【編集後記】

まずは、このインタビュー企画の、女神・第一号として登場してくださった、Aさんに心より感謝申し上げます。

Aさんの出産にまつわるタペストリーには、後悔や傷の模様がありました。しかし、そこを経て知った、「自分を大切にすること」と、「子どもを一人ひとりの個性を受け止めること」の大切さ。Aさんの、厚みと陰影のある語りに、私は感動しました。

そして、Aさんが経験した苦労は、同じようなママの役に立ちたい思いにつながっていました。

人生や子育てに悩み、出口の見えない暗いトンネルに入っているお母さんに、「こっちだよ!」とランタンをもって先導する、Aさんの姿を、私はイメージしました。Aさんの、今後のご活躍を、心から応援したいと思います。

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最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。

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