自分自身と、大切な人と、お産を通して向き合ったIさんの出産体験

目次

『女神たちのタペストリー~あなたの出産体験おしえてください~』

色んな女性に、出産体験をインタビューしているこの企画。

今回の女神は、Iさんです!

Iさんは、二人のお子様がいます。

そして、ヨガ、ピラティスのインストラクターと、リンパトリートメントをお仕事にしながら、産前産後の家事サポートを提供しているNPOを、運営されています。

「お産を振り返ることは大事なことだから」と、インタビューに応募してくださいました。

Iさんは、一人目の時は、助産院で産むはずが、緊急帝王切開になりました。

その事実を受け入れることがなかなかできず、自分や、パートナーと向き合う時間を数年間必要としました。

その時間を経て、ブイバックでお二人目を出産しました。

二人のお子さんを産み、育てる期間は、長い間、距離のあったお母さんとの関係を、縮めていく時間でもありました。

Iさんの出産体験は、今のご活動やお仕事と、切っても切り離せません。

その想いとストーリーを紡いだタペストリー、ぜひお読みください。

Iさんの、優しさの中に、一本筋が通ているイメージ

第一子:緊急帝王切開を、受容できない産後

Iさんは、ヨガのインストラクターをしていることから、初めて妊娠した時、体力づくりや身体づくりが十分にできており、マイナートラブルがゼロだった。

友達の勧めで、助産院で産むことにしていた。

とはいえ、助産院に深い思い入れはなく、
「自然な感じだし、いいんじゃない」という軽い感じで、選んだ。
妊娠中に、母親教室には行かず、出産や育児についての情報を学ぶこともせず、
「体力があるのをいいことに、自分の好きな亊だけして過ごしていたんです」。
産む寸前まで、仕事をして、逆立ちをしているくらい、元気だった。

ところが、予定日を過ぎても、生まれてこなかった。
「あれ、予定と違うぞ」と、急に焦りだした。
予定日を10日過ぎて、ようやく陣痛が来た。陣痛を始めて感じた時、とても嬉しかった。
お腹が、ジンジンとして心地よかった。その時の様子は、夫もよく覚えているそうだ。


助産院で二日間、様子を見たが、子宮口は5センチしか開かない。
助産院では、陣痛が来てから産むまでのタイムリミットがあり、タイムリミットが過ぎたので、総合病院へ搬送されることになった。

 病院で診察してもらうと、すぐに回旋異常(赤ちゃんが、お腹の中でうまく回れない状態)であるとわかった。病院であれば、すぐにわかった異常。それを聞いて、「私、助産院にこだわる必要なかったんじゃないかって、その時にまず後悔しました」。

お腹の赤ちゃんは元気そうだったので、入院した直後は、自然分娩の方針だった。
しかしその後、赤ちゃんの心拍が低下してきて、帝王切開を打診された。
その時、「自然分娩がしたいって、言ってもよかったのかもしれないけど、」二日間寝ていなくて疲れていたのと、夫が不安そうで帝王切開を望んでいるように思えたのとで、帝王切開以外に選択肢がないように感じた。

頭がグルグルして、ボーっとなり、帝王切開の同意書にサインをした。

手術室に入るまでは、冷静を装い、自分の気持ちに蓋をして、夫に心配をかけまいと笑顔を作った。

緊急帝王切開により、無事に産まれてきて、赤ちゃんの元気な産声を聞けた。
その時、「よかった」と思った。
しかし、次の瞬間「なんや、もうちょっといけたんじゃないか。元気やん、もう死にそうみたいなこと、みんな言ったけど、いけたやん」と思った。

入院中、お産についての心の葛藤はあったが、それを周囲には見せなかった。
産後、すぐに歩くことができたし、お化粧もして、「どこにもない理想の産後のお母さん」「今まで通りの元気な私」を演出することに、力を注いでいたように思う。

子どもは、とてもかわいかった。
産後の入院中は、子どもを見るだけで、笑えるし、泣くほどかわいい。
しかし、同時に「苦しくて、苦しくて、毎日泣いていました」。
看護師さんが部屋に来るときには、笑顔を見せるが、一人になると涙がボロボロ出た。当時は、自分でも涙の理由はよくわからなかった。

最初は大部屋に入院していた。
同じ部屋の、自然分娩で産んだ人たちの話し声と、明るい様子。
その隣で、授乳するのにも一苦労な「ヨタヨタの私」。それが苦しくて、2~3日で個室に移動した。

そして、入院中に、病院スタッフとの間で、傷ついたこともあった。
Iさんは、自分でアロマオイルを持ってきて、入院中にハンカチにしみこませて、かいでいた。
すると、師長さんがやってきた。
最初は、「産後どうでした?」と、話しかけてきたので、話を聴きに来てくれたのかと思い、一部始終を話した。
師長さんは、「うん、うん」と聞いてくれて、労ってくれるのかと思いきや、「はい、わかりました。アロマの使用は禁止ですので」と言い残して去っていった。

「え、注意しに来たんや!」と思い、とても傷ついた。
Iさんの思いの丈を出させといて、なんのフォローもなく、注意だけされたことに、怒り心頭だった。

また、アロマオイルを使っていることを知っていたのは、師長さんではなく、ほかの看護師さんだったので、
「直接、その人が私に言ってくれたらよかったのに」。信頼されていないと感じ、そこも傷ついた。

また、総合病院にはよくあることだが、担当者がコロコロ変わり、全員が違うことを言う。
Iさんは、その点については「みんなプロとして、自分の意見を言っているんだな。私は自分の好きなことを選んだらいいんだな」と受け止めることができたので、「それは面白かったです」。

そして、退院してから病院を受診した際に、また衝撃的なことがあった。
先生が、診察後に「二人目も、私が切ってあげますよ」と言った。
「えっ!」と思った。Iさんは、帝王切開を一度したら、次も帝王切開になるという事実を知らなかった。
「そんなん知っていたら、絶対に同意書にサインしなかった」と思った。

そこから、自分でお産について調べ始めた。
最初の数年間は、帝王切開をしたことが受け入れられず、言葉にするのも嫌だった。

ヨガのインストラクターであることがら、周囲からは安産だったに違いないと思われ、
「スルッと生まれたでんしょう?」と声をかけられた。
「いやぁ、まったくの難産でした」と、平気な顔で答えていたが、一人になったら大泣きしていた。

夫と、母親に、気持ちを伝えるチャレンジ

Iさんは、それから帝王切開をしたママたちでバースレビューをする会を自分で開いたり、
出産に関する講座に足を運ぶようになったりした。
色々な人の出産のストーリーを聞き、癒されていく姿をみることで、自分自身も癒されていった。
自分と向き合う時間をたくさんとり、少しずつ自分でも話せるようになった。
自分の言葉にすることができた時、受容できたように感じている。

また、母親や、夫という大切な人に対しても、Iさんは「チャレンジ」していった。

Iさんのお母さんは、帝王切開になったことを、「この子は、産んでいないから」と周囲の人に言った。
そんな母親に、自分の気持ちをどう伝えていくか、というチャレンジだ。

そして、夫は、帝王切開になったことで、落ち込んでいるIさんのことを、見ていられないようだった。
なぜなら、夫は、一緒にお産に立ち向かった気持ちでいたのに、そのことでIさんが落ち込んでいると、自分の存在が否定されているように感じたからだ。
「僕がいないみたいだ。一人で勝手に落ち込んで、後悔されると、僕のやってきたことも後悔されているようだ」と、寂しく思っていた。

Iさんとしては、夫を否定する気持ちはなかった。
子どもが生まれてきたことは嬉しいし、かわいいし、夫は産前よりも大事な存在になっている。
なのに、気持ちは平行線で、何度もケンカをして、何度も泣いた。
なんとか気持ちを理解してほしくて、Iさんは、夫にも伝えるチャレンジをしていた。

「だけど、自分が癒されて、自分のやったことを認められた時、夫も認めてくれるようになったんですね。だから、夫にわかってほしい、じゃなくて、自分で自分を癒すことに集中していれば、夫にかける言葉も違ってくるのかなって」。

ブイバックを決めるまで、夫婦で気持ちを固めるプロセス

第二子を妊娠した時、Iさんは、ブイバック(帝王切開をした人が、経腟分娩をすること)をしたいと夫に伝えた。
しかし、夫は、猛反対。夫は、Iさんも子どもも失うかもしれないことが怖かった。
Iさんは、ブイバックという選択肢を、夫にも一緒に考えてほしかった。
しかし、話し合えば感情的になり、夫婦の溝は深まっていった。
夫は、「僕の意見はきいてもらえないのか!」と怒る。
「私自身は、癒されていたけど、夫はまだ癒されていなかったんです」。

検診は、必ず二人で行くと決めていて、色々な病院を受診した。
そして、最終的には妊娠30週で、夫婦ともに信頼できるお医者さんがみつかり、
そこのクリニックでブイバックをすることにした。夫も、その先生の説明に納得して、同意してくれた。

夫婦で向き合い、話し合うプロセスをしっかりと歩んだことで、Iさんは、「どっち(ブイバックと帝王切開)になっても、後悔しない。」と思えた。

正産期よりも少し早く、誘発剤を使い、予定通り、ブイバックで出産した。
生まれた時は、「完璧なお産だった」と思えた。
しかし、時間が経つと、誘発剤の使い方はどうだったのか、など疑問は湧いてくる。
「自然分娩と言う名の、計画分娩。」だから、Iさん自身は、「自然分娩」よりも、「経腟分娩」という言い方の方が、しっくりくる。

「自分ではどうしようもないことは、いつでも起きる。でも、できることはやったかなと思えるお産でした。」

産後のヘルパーの効用

産後1か月は、毎日ヘルパーさんに来てもらった。
そして、Iさんは、産後の自分の身体と心が、どう変化していくのか、毎日観察して、日記につけていた。
ヘルパーを利用することの効用は、ただ家事が済むというだけではない。
毎日、“一人の大人”として、会話ができることが、「私自身を、ものすごく保ってくれたんです」。
ヘルパーがいることで、家の中と、Iさんの心にも風が吹く。
そして、仕事から帰ってきた夫と、「赤ちゃんがかわいいね」と言い合える時間が生まれる。
「ヘルパーの効用は、はかりしれません」。
第二子の出産と産後の経験は、NPOの活動にも、還元していきたいと思っている。

産後に、母親との関係を縮める

Iさんのお母さんは、Iさんが子どもの時から、長い間病気を患っていた。
そのため、一時は寝たきり状態となり、「心配で、何かしてあげないといけない人」だった。
Iさんは、お母さんに甘えたい気持ちをずっと押さえ込んで過ごしてきた。

それが、第一子を妊娠した時から、お母さんの心に、生きることへの火が灯り始めた。
お母さんは、外出をする練習をして、お化粧もするようになった。
Iさんは、お母さんとの関係を作り直すチャンスだと思い、「産後に、助けてほしい」とお願いをすることができた。
すると、お母さんも、頑張らなくちゃと思ってくれた。

最初は、お母さんが頑張りすぎて、再び倒れることで、介護と育児か重なってしまうのではないかという不安もあった。
そこで、Iさんの友人たちが、万が一そうなっても大丈夫なようにサポート体制を作ってくれていたが、
結局、友人にはお世話にならずに済んだ。

産後は、はじめての子育てと、長い間一緒に暮らしていない母親との暮らしに、Iさんは、緊張に緊張を重ねていた。
そして、ゆっくりと、お母さんは、心も体力も回復していった。

「気持ちいいコミュニケーションの取り方を知らない関係性だったから、傷つけあうこともたくさんあったけど、細かいことには目を向けないようにして。母が、元気になってくれているのが、一番ありがたいこと。」

いくつになっても、人間は、心も体も回復することができる、その姿をお母さんにみせてもらった。

 今では、ビックリするくらい良い関係となり、お母さんの助けが、今のIさんの生活にはなくてはならない。
「今の明るい母が、本当の母だったんだなって、この年になって初めて知りました。」「甘えてみて、よかったなって。人って、甘えられて頑張れるところがあるのかな。弱い所を、見せなだめですね」。

編集後記

Iさんの言葉は、どこをとっても、共感できることばかりでした。

お産を通して、いろいろなターニングポイントを迎えて、自分や大切な人と、真剣に向き合ったことが、Iさんの芯のある語りとなっています。

お仕事や、NPOの活動の中で、「母である前に、一人の女性としての気持ちを一番大切にし、自分で自分を認められるような関りをしたい」と、おっしゃっていたことが、とても頷けます。

このインタビューを通して、志のある女性たちとつながることが、私のご褒美なのですが、Iさんとの出会いにも、深く感謝しています。ありがとうございました!

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