子どもを褒められたらどう返す?相手も子どもも傷つけない受け取りスキル

こんにちは、訪問ありがとうございます。

一つ、私の恥をさらします。

私が、臨床心理士になるための大学院に合格し、入学までの束の間の春休みを過ごしていた時のこと。

家の近所を、母と二人で歩いていて、
私の幼馴染のお友達のお母さんと会いました。

久しぶりに親同士があった時、当然、話題はお互いの娘の近況になります。

「あら~、ひさしぶり!まりちゃん、元気?今どうしているの?4月から何をするの?」とそのおばちゃんは尋ねました。

私が4月から、大学院に進学することを伝えると、
「まぁ~すごいね!やっぱり優秀ね。」とおばちゃんは言います。

それに対して、うちの母は、
「いやいや、早く嫁に行ってくれたら、安心なんだけどね。」と答えました。

私は、そんな会話を横で聞いていました。母とおばちゃんは、しばらくお互いの家族のことや近所のことや、なんやかんやを話した後で、にこやかに別れたのですが。

私は、母と二人になってからききました。
「お母さんは、私に早く嫁に行ってほしいと思っているの?大学院に行くことは、本当は良く思っていないの?」

私は、母の発言に、実は傷ついていました。そして、怒っていました。
頭では、社交辞令として交わされた会話であることは理解できたのですが、
それにしても、私の自己愛が傷つき、腹が立っているのは事実でした。

母は、こう言いました。
「そんなことないよ。」
「じゃぁ、どうして早く嫁に行ってくれたら、なんて言ったの?」
「じゃぁ、他になんて言えばいいのさ…」

結局、母は『娘を落とす』以外の、こういう場面での処世術を知らないがために、困ってしまいました。

私も私で、このようなことで傷つき、母にくってかかったということを、今は恥ずかしく思います。

今回、どうして私が恥をしのんでこのエピソードを紹介しているかというと、
こちらの本を読み、恥と『自己愛トラウマ』について、ほほ~!と納得したことをご紹介したいからです。
*画像はAMAZONよりお借りしました

『恥と「自己愛トラウマ」あいまいな加害者が生む病理』 岡野憲一郎 岩崎学術出版社

この本の中で、うなずくことがたくさんありましたが、特に本書の7章の内容の一部をご紹介します。

著者の岡野先生は、精神科医としてアメリカに滞在医しておられた体験から、日本とアメリカでの褒められた時の反応の違いについて、こんな風に書いておられます。

アメリカでは、例えば「あなたのスピーチ、すばらしかったよ!」と言われたら、「Thank you!」。これでコミュニケーションが、いったん終わる、というのです。

一方、日本では、褒められる時、やりとりがなかなか終わりません。

「あなたのスピーチ、すばらしかったよ!」
「いやいや、そんなこと…めっそうもございません。」(真に受けない、受け取らない
「いやいや、またご謙遜を」(こっちも真に受けない、受け取らない

というお互い受け取らないやりとりを、何ターンがやっているうちに、
この話題がフェードアウトして、別の話題になります。

このような、お互いに相手の言葉を真に受けない、日本人に特有のやりとりのことを、
岡野先生は、「無限連鎖型コミュニケーション」と言っています。

では、アメリカ人の褒めことばを率直に受け取るコミュニケーションと、
日本に特有の、無限連鎖型コミュニケーション、どちらが洗練されているのかと言えば、
岡野先生はわからないと、書いておられます。

しかし、無限連鎖型コミュニケーションは、
・お互いに決着をつけない。
・どちらが正しいかを決めない。
・お互いに恥をかかせない。

ためのコミュニケーションなのだそうです。

「あたなのスピーチ、すばらしかったよ!」という言葉には、
「私はそれに比べて劣っています」というメッセージが含まれており、
褒めことばを真に受けて受け取った場合には、褒めた相手に自己愛的な傷つきを与えてしまう可能性があります。

褒めことばを真に受けると、相手との関係性において、
自分がすぐれた存在であるとか、強い存在である、という前提に立つことになります。

これにより、褒められた側には罪悪感が生じます。

岡野先生は、罪悪感についての定義を、
「自分が、他人より多くの快(より少ない苦痛)を体験する際に生じる感情」と定義しておられます。

だから、無限連鎖型コミュニケーションの目的というのは、
・相手が自己愛トラウマを体験するような事態を回避することだと、考察されていました。

なるほど~、めちゃくちゃわかるぞ~。
ここまでが、この本の中で私が一番うなづいた内容の要約です。

私も親になってみて、上記のエピソードの母の気持ちがわかります。

自分の子どもが褒められると、
うれしい反面、居心地の悪さも感じ、
反射的に自分の子どものダメな所を言うか、相手の子どもを褒めるかして、バランスをとりたくなります。

しかし!
子どもがいる目の前で、子どものことを下げるのは、
子どもの自己愛を傷つける可能性があります。

そして、母には、「娘だから、多少傷つくかもしれないけど、わかってくれるだろう。」という、甘えがあったのだと思います。あるいは、「子どもは自分の延長上の存在だから、けなしても構わない。」という前提があったのかもしれません。

一応、母の名誉のためにも付け加えておくと、うちの母は愛情深く子育てしたすばらしい女性です。

ただ、こういうことって、日本人の親子には、めちゃくちゃ、あるあるじゃないですか?

久しぶりに会った、かつてのママ友のおばちゃんの自己愛を傷つけないために、
娘の自己愛を傷つけるってのは、ちょっとどうかなぁと思います。

ちょっとした、自己愛の傷つきや、恥をかかされた体験を『自己愛トラウマ』と言います。

そして、この『自己愛トラウマ』ゆえに、自分を否定的に見て、自己表現するのが怖くなってしまっている人は、たくさんいます。

自分のことや、自分の子どものことを卑下する、落として見せることが、
”反射的に” ”くせで” そうしているなら、そこを自覚をしませんか?

とはいえ、日本社会の中で生きている以上、アメリカ型の率直に受け取るコミュニケーションをすれば、
相手が実際にムッとしてしまうこともあるかもしれません。

「じゃぁ、自分の子どものことを褒められた時、どう相手にかえしたらいいですか?」って思いますよね。

私の提案としては、
「ありがとうございます。」とまずは受け取って、
相手の子どもの素敵な所やいい所を褒める、というのはどうでしょうか?

あるいは、相手の子どものことをよく知らない場合は、
その子が熱中していることや好きなことについて、質問してみるというのはいかがでしょうか。

その話の中で、かならず相手のお子さんの個性や、ステキなところが見つかるはずです。

こうして考えてみると、
まどろっこしくて、意味がないけど、やめることもできない『無限連鎖型コミュニケーション』にも、
大事な目的があるんだなと思います。

そして、日本人の自己愛の傷つきに関して、過剰に敏感ともいえる国民性が、
なんとなく奥ゆかしくて繊細で、ステキだなと、感じます。

結論として、

①日本人特有のコミュニケーションとして、『無限連鎖型コミュニケーション』があると認識する。
②『無限連鎖型コミュニケーション』は、相手の自己愛を傷つけないために用いる日本人の知恵!
③子どもを「落とす」、貶める形ではなく、相手のお子さんのことを褒める形で、関係性のバランスをとる。

最後に。。。子どもに、恣意的に人前で恥をかかせるのは、絶対にあきまへんで~!
(これを教育と勘違いしている人が多い!)

ありがとうございました♡

ふじさわマターナルカウンセリングルーム代表(臨床心理士・公認心理師)
藤澤 真莉

目次